大河ドラマ後の教科書は…
さて、大河ドラマの結果、平清盛の教科書における表記はどう変わったのだろうか。
確認してみたら、まったく変わっていなかったのである。
「清盛は1179年(治承3)年、後白河法皇を鳥羽殿に幽閉し、関白以下多数の貴族を処罰し、官職を奪うという強圧的手段で国家機構をほとんど手中におさめ、政界の主導権を握った」(『詳説日本史B』山川出版社 2017年)
「清盛は、後白河を鳥羽(京都市)に閉じこめて、関白をやめさせ、貴族からも官職をうばって、平氏の一族による政権をつくったが、かえって反平氏勢力のうごきは活発となった」(『新中学校歴史』清水書院 2012年)
「思うままに政治を行う平氏に対して、貴族も大寺社も武士も不満をいだきました。とくに後白河法皇の平氏に対する反発が強まると、清盛は法皇をとじこめてしまい、かえってさらなる反対勢力を立ち上がらせることになりました」(『社会科 中学生の歴史』帝国書院 2016年)
平清盛が、後白河法皇を幽閉して朝廷を牛耳ったことから、悪逆非道なイメージがいまなお定着していることがわかる。確かにそういう面もあるかもしれない。
だが、よく考えてみれば、清盛は武士の出。そんな人物が一代で朝廷の太政大臣に昇りつめ、政権を掌握したのだ。単なる悪人と切り捨てるのはいかがなものか――。