まひろに影響を与えた右大将道綱母

次に、亀山公園(嵐山公園・亀山地区)へと向かいましょう。

常寂光寺前を南へ下り、小倉池を経て、観光客がひしめく竹林の小径の出入り口を過ぎると、公園の入口に到着(大堰川のほうから登ってくるルートもあります)。春は桜が美しく、展望台から嵐山や保津峡の絶景が楽しめるこの公園は、嵐山観光の穴場です。

展望台から見た保津峡
亀山公園の展望台から見た春の保津峡

公任、赤染衛門、清少納言、和泉式部はじめ、『光る君へ』の登場人物の歌碑の多くが、ここに集まっています。

公園内はかなり広く、起伏に富んでいるため、体力を消耗しますが、お目当ての歌碑が見つかったときの達成感はなかなかのもの(あくまで個人の感想です)。興味のある方は、次の嵐山観光の折に挑戦してみてはいかがでしょうか。

ついでながら、この世とあの世を行き来して紫式部を救ったとの伝説の残る小野篁(本連載9回で紹介)や大弐三位(紫式部の娘)の歌碑もこの地区で見つかります。形状やスタイルも100基それぞれに違っていて、清少納言のものはかなりのインパクトです。

清少納言の歌碑
清少納言の歌碑は、もはや岩? 歌碑めぐりの相棒である愛犬と

主要な登場人物のなかで、いちばん見つけやすいと思ったのは公任(大納言公任)の歌碑ですが、その近くにある右大将道綱母も忘れてはいけません。

道綱母といえば、道長の父・藤原兼家の愛妾で、『蜻蛉日記』の作者としても有名です。『光る君へ』では財前直見さんが演じていました。石山寺で出会ったまひろ(紫式部)に、「日記を書くことで己の悲しみを救った」と、妾の立場のつらさと文学の力を語った場面も印象的でしたね。

「小倉百人一首」に選ばれたのも、『蜻蛉日記』のなかの歌です。

「嘆きつつ ひとり寝る夜の 明くるまは いかに久しき ものとかは知る」 

あなたが来ないのを嘆きながら、ひとりで寝る夜が明けるまでの時間がどれほど長いものか、あなたは知っていますか(きっと、おわかりではないでしょうね)といった意味。浮気性の兼家に向けた、恨みたっぷりの歌です。

他の女性に心が移り、自分から足が遠のいた兼家。悔しさから、せっかく兼家が訪ねてきても門をなかなか開けずにいたところ、別の女の家に行ってしまった。そこで、「門が開くまでの、わずかな時間も待てないの?」という皮肉を込めて詠んだ歌。「私はこれほど待っているのに!」ということでしょう。