二人につけられた差異

二人の差が露骨に出るのはその子供達の立身です。

『謎の平安前期―桓武天皇から『源氏物語』誕生までの200年』(著:榎村寛之/中公新書)

倫子の娘は、彰子をはじめ、中宮三人と東宮(次期天皇)妃一人。息子が頼通・教通の関白二人とズラリ。

対して、明子の娘の結婚相手は親王と貴族、息子は一番上の頼宗の右大臣が最高位。あとは権大納言二人と出家した者が一人と露骨に差をつけられています。

ではなぜ明子はこうした扱いを受けたのでしょうか?

そもそも、同じ源氏といっても二人は直接の親戚関係にあるわけではありません。

もともと源氏とは、平安時代初期の嵯峨天皇が、あまりにも増えすぎた子供達を整理するため、皇族ではなく貴族・官人として生きていくために設けた姓で、以後も多くの天皇の子供達が源性をもらうようになります。

最も有名なのは、源頼朝や足利尊氏を出した「清和源氏」でしょうか。

実際には、俗に二十一源氏とまで言われるほど、多くの天皇から源氏が分かれていたのです。