代数でいえば明子の方が天皇に近いのに…

なお源倫子の父の雅信は宇多天皇の孫で、彼女は<天皇のひ孫>(宇多源氏)です。

一方、源明子は宇多の子の醍醐天皇の皇子の子で、<天皇の孫>(醍醐源氏)です。

つまり代数でいえば明子の方が天皇に近い、ということになる。確かドラマの中でも、そうした背景を明子が道長に話すシーンがありました。なのに、現実をみれば明子の方が扱いは悪いのです。

実は同じ源氏でも、宇多源氏と醍醐源氏ではずいぶん性格が違います。

まず宇多源氏(倫子系)は、醍醐天皇の同母弟である敦実親王以外には繁栄した系統はほとんどありませんでした。

倫子の父・雅信は敦実親王の長男。雅信と弟の重信は左大臣に上り、一時は雅信左大臣・重信右大臣になります。

ただし、この時期は彼らより年下でやり手の藤原道隆から道長に政権が移る頃で、彼らはその下で「うまく立ち回った」という感じだったのでしょう。

一方、醍醐源氏(明子系)は少し性格が違います。

醍醐天皇には男女合わせて40人近くの子がいて、下の方の子供は、天皇の子供でも“源”をもらうようになっていました。そして、明子の父の源高明と、異母弟の兼明はその代表格です。

彼らの兄の親王たちにも、文化人や有職故実(貴族の儀式作法)に通じた優秀な人たちが多い中、この二人は貴族として頭角を表し、異母兄の村上天皇を支えていきます。

それとともに、高明は藤原師輔(兼家の父、道隆・道長の祖父)の娘の愛宮(あいみや)の婿になり、準・摂関家的な扱いを受けるとともに、村上天皇の皇子で英明の高い為平親王を婿取りました。