倫子の姪「大納言の君」は道長の“公認の愛人”

この人は『紫式部日記』の後一条天皇出生記事と『御産部類記』(宮内庁書陵部蔵)、つまり天皇が産まれた時の記録集成の記述の比較から、参議源扶義の娘の源廉子(実は養女、なお扶義は当時すでに亡くなっており、大納言の名はその兄の源時中に由来するか)と推定されています。

『謎の平安前期―桓武天皇から『源氏物語』誕生までの200年』(著:榎村寛之/中公新書)

時中・扶義は彰子の母、源倫子の兄なので、道長の正妻源倫子の姪で、中宮彰子の従姉妹、まさにトップクラスのコネです。

ところが『栄花物語』によると、道長は彼女を「召人」、つまり妾ではないが公認の愛人ともしていたようです。

小柄で、髪は身長より三寸(約9センチ)ほども長く、色白で「つぶつぶと」肥えていて、「こまかにうつくしき」、つまり繊細で、細部に至るまで当時の美人の条件をみたしていたといいます。