兼明親王の歌が表しているもの
兼明親王には「七重八重花は咲けども山吹のみの一つだになきぞあやしき(かなしき、とも)」(後拾遺和歌集1154)という歌があります。
ヤマブキの花には一重と八重があり、園芸植物としては八重が『万葉集』の時代から親しまれていました。しかし八重のヤマブキは花が華やかでも実は一つもならないのだそうです。
そのため、雨に降られた友人に「蓑」を所望された時に山吹の花を出して「みの一つもない」と答えたという歌だとしています。
しかし面白いのは、たくさん美しい花が咲く、というのは、醍醐天皇の多才な子女のことを指していて、みの一つだにない、と言うのはその子孫が恵まれていない、とも取れそうなことです。
その話をしたら、平安朝を愛好する知人が教えてくれました。「七重八重」は「九重(宮中、つまり天皇)に届かないと言うことですね」と
「みのひとつだになき」、というのは、自分の身分は高いけれど子孫を繁栄させられない、源陟子たち上臈女房にも共通した思いかもしれませんね。
『謎の平安前期―桓武天皇から『源氏物語』誕生までの200年』(著:榎村寛之/中公新書)
平安遷都(794年)に始まる200年は激変の時代だった。律令国家は大きな政府から小さな政府へと変わり、豊かになった。その富はどこへ行ったのか? 奈良時代宮廷を支えた女官たちはどこへ行ったのか? 新しく生まれた摂関家とはなにか? 桓武天皇・在原業平・菅原道真・藤原基経らの超個性的メンバー、斎宮女御・中宮定子・紫式部ら綺羅星の女性たちが織り成すドラマとは? 「この国のかたち」を決めた平安前期のすべてが明かされる。