「甘ければ甘いまま食べれば良い」

私の母は、私に料理を全く教えてくれなかった。母の母親(私の祖母だが)も母に料理を教えなかったそうである。ふたりとも結婚した相手が自営業で、その仕事を一緒にしていたからだ。夫はいまどきのように家事や子育てを手伝うことがなかった。そのため、母たちは子供に料理を教える時間がなかったのだ。

母は土井勝の料理本をよく読んでいた。「母親に教われなかったことを土井勝が教えてくれる」と言っていた。

私は母の作る料理を美味しいと思ったことがない。子供の頃、毎週末に泊まっていた母の実家の祖母が作った料理を美味しいと思っていた。

私が高校生の時、お昼になると生徒たちのお弁当を見て回り「少し食べさせて」と言う女生徒がいた。家業の米屋を継ぐつもりで、お米と合う美味しいおかずを研究していたのである。

しばらくして、彼女は私に、「あなたのお母さんの作ったのが最高だった。おかずの彩りも良いし、味も良いし。うちは米屋だけど、あんなにおいしくお米は炊けない」と言った。

周りにいた友人たちは「すごいわね」と、ほめてくれた。

そのことを伝えたら、母は大喜びすることはなく、本音を言った。

「料理をするのは好きではないの。毎日、毎日、義務だと思って作っているだけ」

そして、母は私の友人の母親に、「娘に『いつも海苔が二段の弁当で美味しくない。しろぼしさんのお母さんみたいのを作ってよ』と頼まれ迷惑している」と言われ、不愉快になっていた。

母は、新潟県に住んでいた母方の祖父(私の曾祖父)の話をよくしていた。

祖父は妻が「今日の料理は少し甘過ぎました」と言うと、「甘ければ、甘いまま食べれば良い」、お嫁さんが「今日の料理は辛すぎました」と言うと、「辛ければ、辛いまま食べれば良い」と言ったそうである。そのため妻もお嫁さんも料理に対する苦労がなかった。母はその祖父を尊敬していたから、「今日の料理は美味しいかしら?」などと家族に聞くことはなかった。

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