絶望的な診断の医師との戦い

病院の救急対応の部屋に寝たまま運び込まれ、若い医師が「ギックリ腰だな」と言った。私は絶望的な気持ちになった。出てきたのが整形外科の医師だった。

医師のプライドを傷つけてはいけないとも思い、「ギックリ腰になったことはないですが、ギックリ腰は吐くんですか?」と、何も知らない患者のふりをした。

「吐き気がするなら、俺じゃあないなあ」と医師は言い、消化器内科の若い医師が来た。

「服が汗でびっしょりだね。熱があるのかな。お腹が張っているね。大腸炎かな」。医師の声は優しいが、さらに絶望的だ。私はお腹にガスが貯まりやすい体質だ。服の汗は本棚を出すことに奮闘したからだ。

「脇腹と腰が激痛で、吐きました」と言うと、医師は「胃炎かな」と言った。なんという勘の悪さだ。

「母が尿路結石をやった時の苦しみ方と同じなんです」と、母は尿路結石だったことは一度もないが、医師の診断を誘導する知恵が働いた。

(写真:stock.adobe.com)

医師は「尿路結石なら泌尿器科だ。僕は消化器内科だけれどレントゲンを撮ろう」。
 寝たままレントゲン室に運ばれるとき、寝台を押している看護師が、「痛みが強い時も吐くのですよ」と教えてくれた。そして、「レントゲンのあと、トイレで紙コップに尿を取ってください」と言った。

レントゲン写真を撮っている最中に痛みが消えた。

そして、トイレで尿をとると、紙コップの中に金平糖の形の石が入っていた。私は救急患者の部屋に戻ったが、石が出たことを言わなかった。医師がどういう診断をするのか知りたかったからだ。そして尿路結石と決まり、痛みが取れたので帰ることになった。

寝台を押し、ずっとついていてくれた看護師に、「大きい紙袋を持ってきたけど、ご家族は?」と聞かれた。私は「家族がいないので入院用のものを入れてきたのです」と言った。

看護師は、「一人で帰るんだ。がんばっていね」と、優しい笑顔を見せた。

この経験から私は学んだ。一人で生きるには、痛みに耐えて本棚を3つ外に運び出す「火事場の馬鹿力」と「知恵」が必要なのだと。

家に帰ると、本棚は回収されていた。

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