信長、秀吉、家康がこぞって利用した堂上蜂屋柿

干柿は平安時代に朝廷への献上品となり、以来天皇や歴代将軍に献呈され続けた。「堂上蜂屋」の場合は、室町時代の足利将軍から、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康にいたるまでだ。理由は品質が抜きんでていたからに違いない。もちろんブランドという点でもだ。

信長、秀吉、家康の3人が3人とも、それぞれ重要な場面で干柿を用いている。

『日本の果物はすごい-戦国から現代、世を動かした魅惑の味わい』(著:竹下大学/中央公論新社)

信長は、茶席でポルトガルの宣教師ルイス・フロイスに箱入りの蜂屋柿をふるまった。

キリスト教布教を許可する允許状(いんきょじょう)を京で与えられたお礼のために、1569年(永禄12年)にフロイスが岐阜城に参上したときである。

フロイスは自著『日本史』に美濃(現岐阜県南部)の干しイチジクと記載しているが、イチジクは日本には存在しなかったし、逆にカキはヨーロッパに存在しなかったため、干柿の間違いだとされる。美濃産とくれば、堂上蜂屋柿であった可能性は高い。