諸役免除、年貢米の軽減まで

秀吉は、蜂屋村に諸役免除の特典を与えている。

1597年(慶長2年)12月には、朝鮮から戻った毛利輝元を伏見城の奥座敷に招き慰労した。その際に、秀吉は当時5歳の秀頼から輝元にのし柿を与え、輝元は大感激したと伝えられる。

堂上蜂屋柿は「本場の本物」に認定されている。写真:美濃加茂市堂上蜂屋柿振興会

のし柿とは、干柿をのしたものであろう。輝元は3本の矢で知られる毛利元就の孫だ。

その後秀吉は、徳川家康、前田利家、小早川隆景、宇喜多秀家とともに、毛利輝元を五大老に定め、秀頼の後見役に任じた。

1600年9月、家康は大垣城(おおがきじょう)にたてこもる石田三成らの西軍を討つべく出陣。

岐阜城から美濃赤坂への行軍途中、墨俣(すのまた)宿で瑞林寺の江国和尚が村民とともに大きな蜂屋柿を家康に献上したと伝えられている。時は関ヶ原の戦いの前日であった。

家康は「早速大がき手に入る吉兆」と大いに喜び、諸役免除継続を約束したと伝えられる。

天下取りを果たした家康はさらに、1605年に蜂屋村を御菓子場に指定してお役御免とし、諸役免除に加えて年貢米を軽減した。