父の記憶の中の母は美しいままだ
外食する時は3日前までに届けるため、老人ホーム側は外でランチすることを把握している。受付の女性が、出かけようとする父に笑顔で声をかけてくれた。
「今日は何を食べるんですか?」
父は上機嫌で返事をする。
「焼肉だ。肉を食べるのが長生きの秘訣だからな」
「いいですね! 気をつけていってらっしゃいませ」
上靴から外靴に履き替えるのが面倒なようで、父は甘えてロビーの椅子に座って私を待っている。その割には、履き替えさせるとしゃきっとした足取りで歩き始め、受付の女性に「じゃあね」と明るく手を振った。
老いた親の甘えを受け止めたり、一人でできることを見守ったり。介護は育児の心得と重なる部分が結構あるように思う。しかし、介護の場合は相手が自分を育ててくれた親だから、尊厳を守ることが重要で、それが案外難しい。
私は都合がつく日は基本的に毎日、コーヒーメーカーで淹れたコーヒーとお茶菓子を持って、父の話し相手をしに行く。なにせ父は昔から、おしゃべりするのが大好きなのだ。男性としてはかなり珍しいタイプではないかと思う。
仕事で私がホームに行かないと、父から何度も電話がかかってくる。1日平均7回。正直なところ、相手をするのが面倒になる。仕事を中断したくないとか、同じ昔話を聞きたくないと思うこともある。
ところが、少し疎ましく思った自分を反省するような、素敵な会話をしてくれる日があると、私の心は癒される。寒さが厳しくなってきたある日、父はコーヒーを飲みながら私に言った。
「そういえば、今日は一度も窓を開けていない。空気の入れ替えをしてくれないか」
昔からの生活習慣を取り戻しているのに驚かされる。
私は窓を開けながら、40年前に49歳で亡くなった母のことを思い出した。
「お母さんは真冬でも『一日に一回は空気を入れ替えなければ』って言って、毎日やっていたね」
「あぁ、そうだったな。きちんとした人だった」
「私は時々、お母さんが生きていたら、どんなおばあちゃんになっていただろうなって考えるよ」
すると父は困ったような表情を浮かべた。
「49歳のままの顔しか思い浮かばない……皺がなくてきれいな顔だった」
父の記憶に刻まれている母が美しいままであることに、私はホロッとしてしまった。