支配地域で進むロシア化

侵攻から7ヵ月後、ロシアは、占領したウクライナ南部・東部4州のロシア帰属を問う「住民投票」を一方的に実施する。イリーナさん夫婦は、家から一歩も出ず、投票に行かなかった。

プーチン大統領は、住民投票の結果を「民意」だとして、支配地域をロシア連邦に併合すると一方的に宣言。「ヘルソンはロシアの都市」と記された大きな看板が立てられた。

プーチンの肖像写真が郵便局、バスターミナルなどいたるところに掲げられ、ロシア化が進んでいった。

ドミトロさんの部屋にあった戦闘服やブーツは焼却したり、庭に埋めたりして処分した。彼が写る写真もスマホからすべて削除した。

ある日、ロシア軍が家にやってきた。兵士である息子の存在はごまかせたものの、ロシア兵は部屋にあった青と黄のウクライナ国旗色の小さなブレスレットを見つけ、アナトリーさんを銃床で殴りつけた。

「スパイはいつでも殺してやる」と脅し、テーブルやイス、戸棚をひっくり返して出て行った。

イリーナさんが、スマホに保存していた民宿の写真を見せてくれた。庭の緑の木々に囲まれた、白壁の小さなコテージ。室内には素朴なテラコッタの皿が並ぶ。占領で民宿は閉めざるをえなくなり、年金だけが頼りとなった。肉など食料品の値段は跳ね上がり、生活は苦しくなる一方だった。

占領統治下では、住民は必ずしもロシアの身分証を取得することを強制されなかった。だが、身分証がないと水道代、電気代などの公共料金が支払えず、病院でも診察してもらえない。

生活のため、夫のアナトリーさんだけがロシアの身分証を取得した。「自分の魂に罪を背負った気持ちでした」。

ロシア軍の支配を受け入れた人もいるが、自分と同じように身分証を取得したからといって、皆が占領を肯定しているわけではないと、アナトリーさんは言う。

ロシア側は、身分証を取得した高齢住民に、これまでウクライナ政府から支給されていた年金の倍の額を給付し、一時支援金まで配った。一方では暴力によって、他方では経済的に追い込む占領統治が進んでいった。

後編につづく