幼き日の大鶴義丹さんと母・李麗仙さん、父・唐十郎さん。数少ない家族写真の一枚だ(写真提供:大鶴さん)

そのうち、僕は自分で料理を作るようになります。テレビの『キユーピー3分クッキング』を見て、「ラジコンのセッティングに比べれば単純作業じゃん」と判断。実際にやってみたら面白くて、すっかり料理好きになりました。

実際、母の料理はいまひとつ。お弁当なんて、汁物はタブー、中でおかずが動かないように仕切りが必要──といった常識を知らないから、蓋を開けると中身はグッチャグチャ。恥ずかしいから、運動会でも遠足でも、弁当は自分で作っていました。母もそれを見て、「あんたのほうがうまいから、自分でやりなさい」って。(笑)

家では常にまわりに人がいたし、親も忙しくしていましたから、いわゆる〈家族の団欒〉はなかったですね。お祝いごともしない。「今日は僕の誕生日だ」と父に言えば、「俺はグレゴリウス暦そのものを否定している」なんていう言葉が返ってくるだけ。その代わり、「勉強しろ」とか「ああしろ、こうしろ」も言われませんでした。

小学校の頃、10日間ほど芝居の稽古がなく、家族3人だけで過ごしたことがありましたが、このときの気まずさといったら……。そんな日常でしたから、友達の家に行くと珍しいことばかり。なかでも「親とはこんなに子どもの面倒をみるものなのか」ということには驚きました。まあ、あっさりした親子関係のおかげで早くから自立心が育った、とも言えるのですが。

女優としての母の姿も幼い頃から間近で見ていました。父の書く戯曲はけっこう猥雑なものが多い。そして稽古のときから本気でやる。自分の母親が下着姿で取っ組み合いなどしているのをチラと見るのはあまりいい気持ちではなかったけれど、「こういうものなんだ」と自然に受け入れていましたね。海女さんのうちの子は、お母さんがおっぱいを出した半裸姿で磯にいても、普通のことだと思っていたでしょう。それと同じです。

生まれたときから劇団の稽古場で暮らしてきた義丹さんと、母の顔を見せる李麗仙さん