水木しげる著『決定版 ゲゲゲの鬼太郎 第1巻』(中公文庫)

原口 私は40年かかったかな。父が徐々に弱ってきて、これは私が手伝わなきゃいけないな、水木の娘として今後は生きるんだと、肝が据わったのが40歳頃。小学校の教員を辞めて、水木プロに入りました。

松本 そもそも教員になることに反対はなかったのですか。

原口 父は、どうせ教員採用試験に落ちるだろう、その時は水木プロに入れるぞ、と手ぐすね引いて待っていたんです。ところが合格してしまったから、ものすごくガッカリしてた。家族の中で喜んだのは私だけ。自分でケーキを買ってきて、一人でお祝いしました。(笑)

松本 私も大学を卒業して一度は興行関係の会社に就職したんですけど、うちは母(牧美也子さん)も漫画家ですから、家のほうがかなり大変なことになっていたので、会社を辞めまして。

漫画の仕事を手伝うというよりは、多い時には10人ほどいたアシスタントの賄いを担当しました。家事援助の方にサポートしていただいた時期もありましたが、途中からは私一人で1日2食。バランスを考えて主菜、副菜、汁物を作らなきゃいけないので、もう大変で。

原口 両親が漫画家だとアシスタントも2倍ですものね。

松本 それが、画風も全然違うのにアシスタントは2人共通なんですよ。母の描いたレディースの色っぽい原稿が机の上に置いてある横に、父の戦争物がマグネットで留めてあったり。

原口 水木プロはアシスタントが多い時は5、6人いましたから、母が週に2、3回夕食を作ってましたね。独身男性が多かったので、おふくろの味は喜ばれました。特に具だくさんの餃子が人気でね。結婚したアシスタントの一人があまりにも母の餃子を褒めるものだから、奥さんが「もう私は餃子を作りません」と言ったと聞きました。

松本 本当においしかったんですね!