──メディアに「悪妻代表」と書かれた佐藤さん。初エッセイ「クサンチッペ党宣言」は、伝説的悪妻と名高いソクラテスの妻クサンチッペとご自身を例に、悪妻とは何かをユーモラスに書いたものでした。なぜ「悪妻」が注目されたのでしょうか。

 

初エッセイ「クサンチッペ党宣言」(『婦人公論』1963年8月号より)

「われわれは堂々と悪妻の座にいればよいのです。自然のままのわれわれ自身でいればいいのです」

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もともと「悪妻」というのは、男社会が一方的につくり出した概念です。男が勝手に女の理想像をつくって、そこから外れた女を悪妻と呼んだ。私が「悪妻たれ」と言い出したのは、当時としても珍しかったでしょうね。

日本の女性は、長い間、妻というものは夫に仕えるものだという考え方を妄信し従っていました。あのエッセイを書いたのは、女性たちのそんな考え方が変わってきたから。女が男の理想から外れはじめたんですね。

なぜ変わったかというと、戦争に負けたからでしょう。敗戦でそれまで私たちが教わってきた道徳というものが全部ひっくり返った。

戦後の男たちは疲れ果て、自信を失っていましたね。とにかく敗戦国ですから。食べるものはなし、仕事はなし、家はバラックで失業者だらけですよ。

そこで女たちが生きる力を発揮したわけです。女は子どもに食べさせるものがなければ、必死になってお芋やお米を手に入れようとする。戦後、主食は配給以外で買うと法律に触れました。だから女たちは鉄道で近在の農家へ行くのね。持ってきた着物だなんだを渡して機嫌を取り、わずかばかりのお米を分けてもらう。

帰りに駅で見張っている警察に没収されないよう、背負ったお米に毛糸の帽子をかぶせて赤ん坊に見せかけて運んだり、知恵を絞ってね。たくましいでしょう。そうやって一家を食べさせたのは女なんです。そのあたりから女は実力で強くなっていきました。

それで男と女の力関係というものは次第に変わっていったんですね。