家は小さくていい
日本人はみな同じような姿カタチで髪形、生き方までもが似たり寄ったりだと評されてきた。だが、この一体感があったからこそ、みなで心通わせ一緒に田んぼや漁場を守り育んできた。尊い先人たちの足跡である。
時代は過ぎ、インターネットが普及しグローバル化の波がやってきた。さまざまな国からの訪問者、就労者、移住者が増え、今では彼ら彼女らの文化や発信する言葉、振る舞い、バックボーンを徐々に受け入れることにも慣れてきた。
ときどきハッと気付かされることもある。彼らの着眼点や観念の角度だ。信仰であったり、戦争観をきっかけに、テレビで観ていた正義のヒーローが絶対ではなく、世の中は立ち位置によって変わるのだと。
良い悪いではなく、現実を素直に受け止めて真正面から向き合い、そして分かち合うことが大切だと。
次の目的地に向かって切符を手に入れたら一安心とばかりに、人生のレールの上を猪突猛進するのではなく、自分の足で、自分で決めた人生の目的地に向かう。
多少の失敗はするかもしれないけれど、「なあに、今までの経験を生かし上手に乗り越えられるだろう」と進めば、自分だけの青い空と爽快な人生が眺められるに違いない。
そうと確信したなら話は早い。身軽なほうがフットワークも軽いから荷物も身に着ける物も必要最小限でいい。それらを包み込む家も小さくていいだろう。
人生の冒険にはお金もかかるから、多少の軍資金も残しておきたい。ますます小さな家で十分になってきた。はるか遠くを目指したくなってくれば、家を引っ越す必要も出てきそうだ。やっぱり家は小さくしておこう。
終の住処は昔の話。たどり着いた理想郷で、愛おしいくらいかわいい小さな家で暮らしてみよう。マトリョーシカのようにだんだんコンパクトになる人生も潔い。