紫式部にとっての宇治川

今、観光客で賑わう宇治は宇治川沿いのそれなりに広い所です。

しかし『源氏物語』が書かれた頃には、今のJR奈良線が南北に走っているあたりからは、宇治川と桂川と木津川が合流するあたりに広がっていた巨大な遊水池、巨椋池の東岸になっていました。

つまり当時の宇治川は、平地に出てから約2キロ、平等院から約1キロほどで巨椋池に注ぎ込むかなり短い川で、水量が多く、流れも早い川でした。

浮舟が失踪してもすぐに捜索を諦められてしまったのはそういう環境だからだと思います。

(写真:stock.adobe.com)

『源氏物語』最後の隠れて育った姫、浮舟。そして最後の地を流れる宇治川。

浮舟を通じて貴族社会を冷静に観察しようとした紫式部の目に、宇治川は現世への執着を断ち切る「三途の川」のように映っていたのかもしれません。

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