彰子に課せられた責任

夫である帝(光源氏の異母兄の朱雀院の皇子)の年はわからないが、この内容が一条天皇へのアピールだとすれば、彰子がまだ幼くても、成長を待つ必要はないと急かしているようにも取れる。

『女たちの平安後期―紫式部から源平までの200年』(著:榎村寛之/中公新書)

国文学でよくいわれるように、彰子のサロンで一条天皇が『源氏物語』を読んだとすれば、そして『源氏物語』の中でも見られたように、女房が読み聞かせていたとするならば、さらにいろいろなことが考えられる。

もしも「若菜(上)」がこのころに完成していたならば、それを読んでいた彰子は、自らに課せられた責任の重さに強いプレッシャーを感じていたのではないか。

そしてこうした状況は寛弘5年(1008)、敦成親王(のちの後一条天皇)の誕生まで続くことになる。

「若菜(上)」を彰子と一条天皇がいつ読んだのかは明らかではない。