私の校歌の記憶は中学からである。ミッション系の女子校のせいか、校歌にしては珍しい三拍子だった。どう頑張っても運動会で生徒の士気を上げるには役立たないだろうと思しき流麗なメロディで、むしろヨーロッパの晩餐会でワルツを踊るにふさわしいと感じた。

その校歌を作曲したのが山田耕筰で、作詞は北原白秋だと知ったとき、日本を代表する作詞作曲家も生活費を稼ぐために校歌を作らなければならないときがあったのかと驚き、しかし同時にそんな大御所に作ってもらった校歌らしからぬ校歌を誇りに思ったものである。今でもその校歌は歌うことができる。

その女子校に入学して校歌より先に覚えなければならない文言があった。お昼ご飯の際、お弁当を前にして手を合わせ、食前の祈りを捧げるのが日課だったのだ。

そのとき、唱えるのは「主の祈り」というものである。

「天にまします我らの父よ」で始まるほんの百五十文字あまりの祈りの基本型のようなもの。メロディはない。途中、「我らの日用の糧を今日も与えたまえ」という言葉が入っているために、「食前の祈り」として生徒たちに唱えさせていたのかもしれない。おいしいお弁当をいただく前に、毎日唱えるのだから、いつしかそらんじられるようになる。