「もしかしたら」は訪れない

もう一つ「もしかしたら、また使うかもしれない」という想いもモノを処分する際の妨げになってしまいがちだが、こちらについては、私はもとより使わなくなったものはどんどん捨てるタイプだ。

いつだったか長男が「家が狭くて置くスペースがないから実家に置かせてくれ」と言って我が家に本の詰まった幾つかの段ボール箱を持ってきたことがある。

スペースを貸すのは構わないと思ったのだが、私は長男に「棚から出して箱詰めした本を読み返すことはたぶんないから処分したらどうか」と提案した。

もしかしたらと思っても、その日はたぶん訪れない。訪れない日のために本をとっておくのは無意味だ。

しかもマンションを借りている場合などは、使わないものを置いておくスペース分の賃料も払っていることになる。

こうしたコストを考えれば、モノはどんどん捨てるに限る。

もしも必要が生じれば、その時はまた買えばいいと考えるのが得策だ。

私は研究室の本をすべて処分した直後に、1990年にジョン・K・ガルブレイスという経済学者が書いた『バブルの物語』という本を引用する必要性に迫られた。

持っていたのに早まったことをした、出版から34年も経っている本を入手するのは大変だと困惑したのだが、結局のところメルカリですぐにみつかり、500円で購入できた。

余命宣告されていようとなかろうと本に限っては捨てるの一手なのだと確信した今、手放した本に対する未練は1ミリもない。

※本稿は、『身辺整理 ─ 死ぬまでにやること』(興陽館)の一部を再編集したものです。


身辺整理 ─ 死ぬまでにやること』(著:森永卓郎/興陽館)

2023年12月、ステージ4すい臓癌で突然の余命4か月告知。

あした死ぬことがわかった私は終活をはじめた。

モノ、時間、お金、死を目前にしたとき、なにを始めたのか。著者、渾身の一冊。