万城目の試み

最初の録音は、昭和24年(1949)8月に3本目の出演映画『踊る竜宮城』の「河童ブギウギ」(作詞:藤浦洸、作曲:浅井挙曄)であった。

これは笠置のブギの路線で作られたが、ヒットしなかった。ひばりを支持した作曲家万城目正は路線の変更を図る。

『昭和歌謡史-古賀政男、東海林太郎から、美空ひばり、中森明菜まで』(著:刑部芳則/中央公論新社)

昭和24年9月の松竹映画の同名主題歌「悲しき口笛」(作詞:藤浦洸、作曲:万城目正)では、大人向けの哀愁のある歌謡曲をひばりに歌わせることにした。10月にひばりはコロムビアの専属歌手となった。

これがヒットすると、昭和25年(1950)7月の松竹映画の同名主題歌「東京キッド」(同)では「右のポッケにゃ、夢がある、左のポッケにゃ、チューインガム」という戦災孤児の匂いがする世界観を、長調の明るいメロディーに仕上げた。

同年12月の「越後獅子の唄」(作詞:西條八十、作曲:万城目正)と同26年(1951)10月の「あの丘越えて」(作詞:菊田一夫、作曲:万城目正)はともに4分の4拍子の短調だが、前者は時代劇のため日本調の雰囲気を出し、後者は現代劇に適した高揚感を演出している。

万城目はどういう感じがひばりに合うか試していたのではなかったか。

ひばりの歌唱力もさることながら、この試みがひばりの歌の世界を広げていった。