(写真提供:Photo AC)
日本には、長きにわたって愛されてきた<昭和歌謡曲>が数多くあります。日本人は、なぜ昭和歌謡曲に魅了されるのでしょうか?日本近代史を専門とする日本大学商学部教授・刑部芳則さんの著書『昭和歌謡史-古賀政男、東海林太郎から、美空ひばり、中森明菜まで』から一部を抜粋し、当時の時代背景とともに懐かしの名曲を振り返ります。今回のテーマは「美空ひばり」です。

天才少女歌手の登場

神奈川県横浜市の魚屋から天才少女歌手が登場した。昭和戦後期を代表する「歌謡界の女王」美空ひばりである。

彼女の父は歌謡曲好きで「青空楽団」を結成し、ひばりは、杉田劇場や横浜国際劇場で歌唱する機会を得る。

しかし、NHK『のど自慢』で歌謡曲を歌ったところ、鐘が1つで終わった。戦前から子供は童謡と相場が決まっていた。

実際、作詞家サトウハチローは、ブギウギを歌う子供を「バケモノのたぐいだ」と批判した。

そうした批判が出た一方、レコード会社の関係者の間では歌唱力がずば抜けた少女がいるとの情報が広がった。

昭和23年(1948)5月1日に横浜国際劇場でひばりは笠置シヅ子の「セコハン娘」を歌唱し、共演した笠置はもとより、藤山一郎をも驚かせた。ひばり10歳であった。

コロムビア文芸部長の伊藤正憲が目をつけたこともあり、ひばりはコロムビアでレコード録音をすることになる。