別れの場面の変化
男女の発展場だけでなく、その悲しい別れの場面にも新たな変化が見られる。
昭和32年(1957)11月のフランク永井「羽田発七時五〇分」(作詞:宮川哲夫、作曲:豊田一雄)は、別れの場面に空港が登場した。
昭和33年(1958)7月に羽田空港(東京国際空港)がアメリカから全面返還された。
先取りして作られた歌詞には午後7時50分が最終便とあるから、現在と比べると飛行機利用客が少なかったことがわかる。昭和39年(1964)に海外旅行が自由化される前である。
しかし、この作品に続いて、昭和33年(1958)7月にキングの三船浩「夜霧の滑走路」(作詞:横井弘、作曲:飯田三郎)、同34年(1959)1月に和田弘とマヒナスターズ「夜霧の空の終着港(エアーターミナル)」(作詞:佐伯孝夫、作曲:吉田正)が作られ、ともにヒットしている。
昭和34年2月のフランク永井「恋のビジネス特急」(作詞:井田誠一、作曲:吉田正)も見逃せない。
これは前年11月の東京と大阪間を6時間30分で結ぶビジネス特急「こだま」の開通を受けて作られた。
ビジネス特急は約2時間の会議を行って日帰りできるというのが売りであった。これは同時に短時間ではあるが遠距離恋愛が可能になったことを伝えていた。