心細さや不安から、友達やクラスメートと足並みを揃える努力をしていたという子どもの頃のマリさん。しかしあることをきっかけに、そうした人づきあいの仕方をやめたそうで――。(文・写真=ヤマザキマリ)
「友達」のありかたについて
母子家庭で、しかも母親が留守の多い音楽家だったため、子どもの頃は誰にも頼ることのできない心細さと不安をいつも抱えていた。あの不穏な気持ちを分かち合える同年代の仲間は滅多にいない。
不良と呼ばれる子どもたちが集団を作るのは、やり場のない孤独感や不条理感を共有するためなのだろう。私はそうした集団に入ることはなかったが、自分の家庭環境が他の家と比べてかなり特殊だということは自覚していたから、学校のような外の社会では孤独感に苛まれないよう努力を尽くしてきた。
たとえば私の母は、市販の菓子や飲料を「高度成長期が生んだ、体に害を及ぼす食品」と決めつけていた。
しかし、友達の家へ遊びに行くと振る舞われるのは高確率で母の嫌う市販の菓子と飲料であり、私の家へ誰かが遊びに来るような時は、たとえテーブルの上に母の手製のアップルパイが置いてあっても、ありきたりな市販の菓子を自ら調達し、いつもそうしているように友人たちに振る舞った。