行成は記録せず

一条天皇の葬送については『小右記』や『権記』(藤原行成の日記)もかなり詳しく書いていますが、実資の日記は、養子である資平からの聞き書きでした。実資は「慎む所があって」参加していないのです。

『女たちの平安後期―紫式部から源平までの200年』(著:榎村寛之/中公新書)

そして行成はこの「うっかり火葬にしちゃった」件については一切書いていません。これは少し不思議です。

宮廷儀礼のことについては誰より詳しい実資なら、通例である火葬ではなく土葬にするという一条天皇の遺言を執行しようと考えるのが普通でしょう。それがないということは、彼は一条の火葬の意向をこの時初めて知ったのだ、ということになります。

一方、道長や彰子以外にこの話を聞いた天皇近習の中には、権中納言で侍従を兼ねていた行成がいてもおかしくないのです。あるいは行成は口をつぐんだのかもしれません。