一条天皇が土葬を望んだ理由
そもそも火葬は、仏教の儀式ではありますが、死体を骨にすることで、死のケガレを早く無くしてしまう…という意識で導入されたという側面があります。最初に火葬された天皇は持統天皇で、それまでは天皇の葬儀は時に何年もかかるという、大変時間を要するものだったのです。
一方、平安時代の和歌を見ると、身分の高い人にとって火葬は遠くで拝むもので、その煙は人の魂が天界に上っていくしるし、たとえばかぐや姫の昇天と同様のことと考えられていたようです。
ならば土葬は、魂がずっとこの世に残り続ける、天の神の世界ではなく地の神の世界に留まりたい、という意志の表れのように思います。
では一条天皇にはこの世に留まり続けたい理由があったのか?
実はあるのです。そしてそれは、定子皇后に関係しています。
赤染衛門が書いた『栄花物語』の「とりべ野」は、定子皇后の死去と葬送の様子を詳しく哀切に書いています。
それによると、鳥辺野(京の東側の葬地)に「霊屋(たまや)」というものを造り、その中に定子の遺体が安置されたとあります。おそらくそのままで暫く置かれた後に陵を築き、そのうえで、土葬されています。
一条はこの形、つまり最愛の后と同じ扱いを望んでいたのではないかと考えられるのです。