扇は平安時代の発明品 初期はメモ帖だった?

扇の起源は、中国伝来のうちわのような道具ですが、平安時代に、これを折りたたんで携帯できる形状のものが考案されたとか。それが扇であり、初期のものは、木簡(薄い短冊状の木の札)の端に穴を開けて、こよりでまとめたシンプルな檜扇だったそうです。つまり、扇は平安時代の京都で発明されたと考えられているのです。

当初は、男性貴族が宮中の作法などを書き留めておくメモ代わりとしても、使われていたようですが、女性たちに広がると、美しい絵で飾られた装飾品に。やがて貴族の必需品となり、風を起こす、顔を隠すといった実用的な用途のみならず、花を載せたり、和歌を書いて贈るといったコミュニケーションの道具としても用いられるようになったのです。

恋の歌を扇に書いて相手に贈る、歌が書かれた扇に即興で返歌を書き添えるなど、扇を介した様々なやりとりが『源氏物語』にも描かれています。光源氏と契りを結ぶも、扇を取り交わしただけで、名乗ることなく別れた朧月夜を、その扇をたよりに源氏が探し当てるエピソードは、とりわけ有名です。

ただ、現代の日常生活で檜扇を目にする機会はほとんどありません。

京都では、先日(10月22日)行われた「時代祭」で、清少納言が持つ檜扇が、約30年ぶりに新調されたことが話題となりました。とはいえ全国的には、(熱心な『光る君へ』ファンは別として)檜扇と聞いてもピンとこない人が多いのではないでしょうか。

私たちに馴染みのある、両面に紙を貼った扇子が普及するのは、鎌倉・室町時代あたり。能楽や茶道、舞踊などにも用いられるようになり、庶民にも広がったようです。

その扇子を使った遊びに「投扇興(とうせんきょう)」があります。今日では、花街でのお座敷遊びとして知られていますが、もともとは江戸時代に庶民のあいだで大流行した遊びなのだとか。台の上に乗った「蝶」と呼ばれる的めがけて扇子を投げ、蝶や扇子の落ちた形によって得点を競う、対戦型のゲームです。

日本の古典芸能をわかりやすく紹介するNHKの番組『芸能きわみ堂』(Eテレ・毎週金曜日午後9時~9時30分)が、この「投扇興」を取り上げると聞き、京都・嵐山で行われたロケにおじゃましました。