短距離だけでは、限界がある――そう思って陸上十種競技に転向したのもこの頃です。競技歴2年半で、僕は日本インカレやグランプリ、日本選手権で優勝し、日本一になりました。この時出した100m走と400m走の記録は、当時の日本最高記録でした。
すぐに企業からオファーをいただいたのですが、提示された報酬が、一般的なサラリーマンとさほど変わらない額だった。正直、これには打ちのめされましたね。
なにしろ、同じ学年には野球ならイチロー選手、スピードスケートなら清水宏保選手など、スポーツ界のスーパースターが大勢いる世代。短期間でこれだけの記録を出しているにもかかわらず、誰からも注目されない競技を選んでしまった。この業界で日本一のクオリティを備えているのに、これしか評価されないのか、と。マイナーな十種競技を選んでしまった自分の不勉強を思い知らされ、日本一になった翌日にどん底に落ちたような気持ちになりました。
スポーツ×芸能界の化学反応
陸上という分野があまりお金を生まない競技であることはもちろんですが、僕自身、それまでにファンを増やしたり、その競技を知ってもらうための活動をまったくしていなかった。その分野で一番の成績さえとれば自分の人生が豊かになると思い込み、数年を費やしてしまったわけです。でも現実は厳しかった。経済の仕組みを学んでこなかったことを、大いに反省しました。
悩んだ僕は、スポーツの分野における「日本一」という能力に、経済的な付加価値を持たせるには何が必要なのか、それを必死に考えるようになりました。その結果、スポーツの能力という付加価値を手に、芸能界に進もうと決断したのです。
兄の断たれた夢の分も生きたい、という思いもありました。でも、それだけではない。芸能界では、僕がスポーツだけでは手に入れられなかった知名度や需要が得られる。そして、芸能界に僕と同じレベルでスポーツをプレーできる人はいない。それを混ぜれば、経済的に化学反応が起きて面白いのではないか、と思ったのです。
すごく大きな決断でした。かといって、「勇気」などというプラスの気持ちではなかったですね。むしろ、十種競技で日本一になって以来、子どもの頃から味わってきた言いようのない不安感が再び強く蘇ってしまって。なんとかそこから抜け出すために必死だったんだと思います。