とはいえ、決して楽しい毎日ではありませんでした。スポーツで生計を立てるためにトレーニング理論を考えたり、勉強面でも定期テストはすべてトップの成績だったりしましたが、スポーツも勉強も、生きるために「仕方なく」努力し続けている、と感じていました。

この先、生きていけるのか不安ばかりだった僕にとって、努力して試験でいい点数を取ったり、スポーツの大会でほかの人よりいいパフォーマンスをすることで、不安が少しずつ和らいでいくというのかな。一瞬でも安らぎを感じられるような、そんな日々だったように思います。

 

日本一になった翌日の、どん底

高校時代には、すでに自分なりのトレーニング理論を構築していたので、どんなスポーツでもプロとしてやっていけるだろうという確信を持つようになりました。何かひとつ競技を選び、日本一になって、テレビで目にするスター選手みたいなすてきな人生にしたい。漠然と、そう考えるようになったのです。

大学1年の夏に陸上競技を始め、100m走のデビュー戦で10秒9を出しました。これだけ短期間のトレーニングで結果が出せるなら、日本一になって実業団に入って……というプランも思い描いてはみたのですが、その後の出来事をきっかけに、考えを改めました。

ひとつは、僕が22歳の時に兄ががんで亡くなったこと。兄は中学卒業後、すぐに芸能界を目指して坂上忍さんの付き人になります。やっとテレビや映画で小さな役をいただけるようになった矢先のことでした。

兄が芸能界を目指すと言い出した頃は、とにかく生活が苦しかったので、「なに、夢みたいなこと言ってるんだ」と、しょっちゅう喧嘩ばかりしていました。父からの限られた援助がすべて僕にいくように、兄が高校進学を諦めた、と知ったのは、のちに僕が芸能界に入ってから。

遊ぶように暮らしていると見えた兄に、実は現実的な経済感覚があり、弟のために人生の方向を決めていた。そのことを知った時は、大きな衝撃を受けました。そして、そんな唯一の身内が衰弱して亡くなっていくのを目の当りにして、悲しいと同時に、今までの2倍人生を充実させたいという気持ちが強くなりました。