居貞親王と妻・すけ子
居貞親王には心を許す友も少なかったのではないでしょうか。その様子は、東宮時代に詠んだこういう和歌からもうかがえます。
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月かげの山の端分けて隠れなばそむくうき世を我やながめむ(新古今和歌集)
(月が隠れるようにあなたが出家してしまったら、あなたが捨てた憂き世に私は取り残され、悩んで生きることになるのでしょう)
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これは信任していた少納言藤原統理が出家した時に詠んだものですが、東宮と思えない居貞のわびしい心情が歌われているのです。
このように一条朝の居貞はどうも「地味な東宮」になっていたようです。
一方、居貞には別に妻がいました。それが大納言藤原済時の娘、藤原すけ子(すけの字は女偏に成)です。
父の済時は道長の祖父・師輔の弟にあたる、左大臣師尹の子。
済時は道長から見ると父の従兄弟というかなり遠い親戚でしたが、道隆の飲み友達で、相前後して亡くなっています。そのため、すけ子のバックは弱かったのですが、居貞との間になんと四男二女の子供ができました。
あまり前例のないことですが、この一家は道長政権の中心からやや距離を置き、両親と子沢山な核家族として、それなりにゆったりとした日々を送っていたのではないでしょうか。
しかし、そんな暮らしが一条天皇の死去によって一変します。