大石静さんが脚本を手掛け、『源氏物語』の作者・紫式部(演:吉高由里子さん)の生涯を描くNHK大河ドラマ『光る君へ』(総合、日曜午後8時ほか)。ドラマの放映をきっかけとして、平安時代にあらためて注目が集まっています。そこで今回は居貞親王(三条天皇)について、新刊『女たちの平安後期』をもとに、日本史学者の榎村寛之さんに解説をしてもらいました。
一条朝の時限爆弾「居貞親王(三条天皇)」
一見平和に見えた一条朝には時限爆弾がありました。それは四歳年上の東宮、居貞親王(のちの三条天皇)という存在です。
平安時代のここまでを見ても、東宮が天皇より年上という例は一度もありませんでした。当然と言えば当然のことです。
しかし、当時の貴族社会は先例を何より重視しました。
そのため、当時の貴族たちから、居貞親王は「あまり望ましくない東宮」であり、「なんだか収まりのよくない人」と見られていた可能性が高いのです。
それでもこんな異例の事態が起こったのは、寛和2年(986)に、円融系の一条天皇がわずか7歳で即位した時、男子の親王が居貞親王(11歳)、為尊親王(10歳)、敦道親王(6歳)しかいなかったからです。