阿川佐和子さんが『婦人公論』で好評連載中のエッセイ「見上げれば三日月」。――。
※本記事は『婦人公論』2024年10月号に掲載されたものです
※本記事は『婦人公論』2024年10月号に掲載されたものです
バルコニーに置いてある小さなレモンの木の葉の上に、ある日突然、鳥の糞のような黒いものがひっついているのを発見した。一つ、二つ、三つ……、九つもある。
「なんじゃ、これ?」
よく見ると、かすかに動いている。動きながら、レモンの葉をごしごし咀嚼している。
もしかして……。
話は一ヶ月ほど前に遡る。バルコニーに黒白アゲハチョウが迷い込んできた。ヒラヒラと頼りなげながら、我が家の植栽の間を飛び回り、ときおり風に飛ばされて、どこかへ行ったかと思ったら、また戻ってきて葉の上に止まったり、またヒラヒラと飛び立ったりを繰り返すうちに消えた。
もしかしてあのアゲハチョウが卵を置き土産にしていったのではあるまいか。不気味だ。一気に処分しようと思ったが、いや待てよ。
せっかくアゲハチョウの母親が、ここなら安全だろうと思って産み落とした子供たちである。捨てるにはしのびない。さりとてこのまま幼虫たちにレモンの葉っぱを提供し続けたら、レモンの木はどうなるだろう。
しばし迷って決めた。今年はレモンの木に犠牲になってもらおう。