丸山 その頃、僕は学校での作品作りが忙しくなり、追い込まれていた。つまりそれぞれ新しい世界にどっぷり突入して、会わなくなっていったんだよね。
でもプーヤンは律儀な性格だから、「担任の先生を囲む会」に僕が返事もせず放置していたら、「ああいうのはちゃんと来なくちゃダメだよ。お世話になったんだから」と連絡してきていた。
江原 そうだっけ? 連絡はあまり取り合わなくなっていたけれど、風の噂で敬太が東京コレクションに出たことを耳にしていたし、ドリームズ・カム・トゥルーの舞台衣装を担当して吉田美和さんのコスチュームが話題になったのも知っていた。といっても、ぜんぜん驚かなかったよ。やっぱりねって感じだった。もちろんすごく嬉しかったしね。
丸山 初めてドリカムの衣装を手掛けたのは1991年だから、26歳の頃だったかな。
江原 僕は和光大学を中退した後、ご縁があって下北沢の北澤八幡宮で神主の実習生として奉職させていただきながら、國學院大學の夜間学部で神道を学んでいた。下北沢のアパートでスピリチュアリズム研究所を設立したのは24歳の時。26歳の頃は、神主と個人カウンセリングをして生計を立てていた。
丸山 プーヤン、その頃マガジンハウスの『an・an』に出たんじゃなかった? それを知って、僕も「やっぱりね、プーヤンを世の中が放っておくはずないよ」と思っていた。
江原 でも僕が広く知られるようになったのは2001年、37歳の時なんだよ。その年に出版した書籍『幸運を引きよせるスピリチュアルブック』がミリオンセラーになって。
丸山 一気にマスコミで引っ張りだこになったんだよね。単に霊視するだけではなく、人生哲学、スピリチュアリズムを説くっていうのがプーヤンらしい。素晴らしい活動だよ。
江原 僕の場合はスピリチュアリストになりたかったわけじゃないけど、敬太は18歳の頃から、はっきりとファッションデザイナーになりたいと公言し、その夢を見事に叶えたのは本当にあっぱれだよ。
日本航空の客室乗務員の制服を手掛けたりもしていたよね? 飛行機に乗るたびに「敬太も頑張っているんだから自分も!」って、力をもらっていた。