「便まみれの手で壁や布団を触るので大惨事。ああ、布団も洗わなきゃと、こちらは頭をフル回転させながら、『動くな』と怒鳴ります。すると母もイライラして、便まみれの手でつかみかかってくる。その瞬間、心の中のいろいろな抑えが弾け飛び、パチーンとビンタをしてしまいました。体を押さえつけ、それでも言うことを聞いてくれないので縛った。翌日、母の顔面は真っ赤に腫れていました。怖いのは、一度では終わらないということ。一回叩いてしまうと堰を切ったように、次も何かあると手が出てしまうのです」

 

「叩かれてもあんたと一緒がええ」

叩いては自己嫌悪に陥る繰り返し。母親の顔にアザのある日も増えた。事態を察知したデイサービスの職員に促されて、老人保健施設の見学に行ったこともある。だが、「和ちゃん、今日はここにお泊まりしてくれる?」と聞いた野田さんの腕に、和子さんは自分の腕を絡めてこう言った。

「わたしゃなあ、あんたに叩かれても、あんたと一緒がええんじゃ」

数年後、嚥下障害になった和子さんは胃ろうを造設した。寝たきりの状態になると介護生活はかえって落ち着いたものになり、野田さんが手を上げることも自然となくなっていく。在宅介護の日々は、和子さんが85歳で亡くなるまで続いた。

働き盛りの時期を母親の介護にすべて注いだ10年間。一番つらかったのは孤立感だったという。

「お盆や正月に同窓会があっても出かけられない。付き合いが悪くなり、友達との関係も疎遠になりました。特に40代後半ではまだ男性で介護に直接かかわっている知り合いがほとんどいなかったので、話しても理解してもらえません。仕事をしていない負い目や、世の中から取り残されるような焦りも感じました。そんなある時、母がテレビの電源コードを噛み切ってしまった。テレビの中で人々が楽しそうにしているのを見ると本当につらかったのでちょうどよかったと、以来テレビは置かないことにしました」

当時、野田さんの世界は母親とその介護関係者だけだった。一般社会とがっていないフラストレーションが、じわじわと心を蝕んでいく。臨床心理士の知人から「介護うつだ」と指摘されたこともあった。そんななか、ブログで介護日記を立ち上げた野田さん。同じ立場の人たちとネット上で交流することで、なんとか孤立感を乗り越えてきたという。