なぜドラマチックな出会いが生まれるのか

あらためて考えてみると、本当に不思議なご縁です。

そもそも、私は「激」がつくほどの人見知りなので、自分から意図して、見知らぬ人と仲良くなろうとしているわけではありません。でも、縁がある人とは必ずどこかで出会うことになっているという確信は、経験上身についています。

マルコ爺さんとの出会いは、帰国後に母が文通というかたちで繋いでくれたことも大きかったと思います。

私だけだったら、手紙を書くなんて面倒で放ったらかしていたと思うのですが、誰でも燃費が悪いと思いそうな判断や行動に出ることが、むしろ人生の豊かさを左右する場合もある、ということでしょうね。

こうしたドラマチックな出会いが私の人生に多いのは、やっぱり風変わりな家庭で育ったからだと思います。

母子家庭であるとか、母が音楽家をやっていたとか。「人はこうあるべき」というこだわりがまったくない母に育てられたことで、私も、どこでどんな人に出会っても拒絶せずに受け入れられるようになったと言えるでしょう。

「こう生きるべき」というタガを持たない母親に育てられ、幼い頃から、自分には浮き沈みのない平穏無事な生き方はできないだろうと悟っていたことが、世界のあちこちで予測外の出会いやお付き合いを重ねるきっかけになったんじゃないかと思います。

人見知りではあっても、いったん出会った人には入念な洞察のスイッチが入ってしまうのは、私がもともと昆虫や動物の観察が好きだから、というのも関係しているでしょうね。人間の生態もまた好奇心をそそるのです。

意志の疎通のできない昆虫を面白がっていると、わりと人間の社会で起こっているどんな事象に対しても驚かなくなってくる。人間に対して過剰な理想というものが無い、というのもあるでしょうね。