イラスト:川原瑞丸
思ってた未来とは違うけど、これはこれで、いい感じ。コラムニストかつラジオパーソナリティにして「未婚のプロ」、ジェーン・スーは女の人生をどう切り取るのか? 1月9日に発売になる新著『これでもいいのだ』(中央公論新社)から、疲れた心にじんわりしみるエッセイをセレクトします

私の私による私のためのオバさん宣言

2018年の5月10日で、45歳になった。まだまだ若輩者には違いないが、紛うことなきオバさん世代に、正々堂々と足を突っ込んだといえる。清々しい気持ちでいっぱいだ。

強がりではない。これまでとは明らかに異なる肉体の経年変化に「おお、この先には確実に死があるぞ」と認識できたことさえ嬉しい。ちゃんとガタがくるようになったのだ。無理の利く健康体で暮らしてきた私にとって、これは今まで得難い感覚だった。

全方位的に安堵しているわけでもない。口角のあたりにモチャモチャとした肉が垂れ下がってきたし、膨らみのあるタイプのシミもできた。これにはこれで、徹底的に抗っていこうと思う。

昔ながらのオバさんを背負う気は毛頭ない。いつかは死ぬと思うが、このご時世、なにせ百年は生きねばならぬのだから、新しいオバさん像が必要だ。パーソナルトレーナーをつけた筋トレも9カ月続いており、結果はともかく、新米オバさんは俄然やる気に満ち溢れている。

『これでもいいのだ』(ジェーン・スー:著/中央公論新社)

私がオバさんを初めて自称したのはいつのことだろう。多分、十代最後だ。今から考えればおかしな話だが、あのころは「二十代なんて、もうオバさんだ」と真剣に思っていた。

しかし、現実には二十代はオバさんでもなんでもない。オバさん予備軍ですらない。なんなら、大人ですらない。二十代は、日々そこかしこで若さが爆発し、クラッカーを鳴らしてあたりを騒然とさせるのが仕事のような毎日だった。

三十代を目前に、今度は他者から、主に男性から「オバさん」という言葉を投げかけられるようになった。先方がふざけ半分なことは百も承知。だから、こちらも真に受けてはみっともない。そう思っていた。苛立ちや傷付きをごまかしてはいたが、嫌な気分になったのは間違いない。

三十代に入ると、率先してオバさんを自称する同輩が現れる。同時に、自称も他称もオバさん呼ばわりを絶対に許さないグループも生まれた。「オバさんなんてものはこの世に存在しない」とばかり、態度と言葉でもって、全力でオバさんを拒絶する。オバさん警察の言葉狩りみたい。それはそれで息苦しくもあり、オバさんという言葉と三十代の相性は、決して良いとは言えなかった。

四十代。アラフォーという言葉の杖に寄り掛かりながら肉体の変化に四苦八苦で順応していると、あっという間に四十五歳になっていた。