「望月」の和歌に込めた思い
━━「望月」の和歌の詠み方に工夫をしましたか。
追い詰められている道長がどうこの和歌を詠むのかと、演出の黛りんたろうさんに聞きました。
道長が和歌を詠むのは、その時だけではありませんでした。第36回の土御門殿での道長の孫である敦成親王の「五十日(いか)の儀」(現代の「お食い初め」)でもまひろの歌に返歌するシーンがありました。その時は、芸能考証・指導の友吉鶴心先生に教えていただきました。
僕は、以前にミュージカルに出演して歌ったことがあり、歌詞の意味に雑念が入ってしまうとまずいことを知ったのです。良く歌いたい、うまく聞かせたい、という雑念です。和歌を詠むのも、そういう雑念が入らないことを意識しました。
友吉先生は、ご自身の先生に当たる方からも言われていたこととして、和歌だけをポンと声にのせるというか、自然に声にするという、そういうしかるべき詠み方があるとのことでした。読点の置き方が違うとか、止めずにいっきに詠む方がいいとか、そういう注意はありました。
「もちづき」の和歌を詠んだ後、まひろと視線を交わすシーンがありましたが、どんな心境だったのか、よく覚えていない。ただ、銀粉が降っていて、いかにも黛さんらしい演出だなとぼんやりと考えていました。