笑いが力に変換される
かつての指導者は、すべてを見通す無謬(むびゅう)の天才として演出されていた。そのため、茶化すことでその権威を引き剥がすことができた。今日はちがう。ネタとして面白がられているうちにどんな批判も無効化してしまう、じつに厄介な存在なのである。
言い換えれば、ヒトラーのちょび髭は笑ってはならないものだったが、トランプの髪型は笑いの対象にできる。それどころか、その笑いがかれの力に変換されてしまう。トランプタワーで売られている土産物もその一端を担っており、けっして侮るべきものではない。
このSNSの時代、トランプ的な「思わずシェアしたくなる」政治家は「下からの参加」を調達しやすく、ますます台頭してくるだろう。
そのような動きは、やがて来たる「個人崇拝」の原動力になるかもしれない。この「個人崇拝」を支えているのは、全体主義や秘密警察ではなく、高度な消費社会であり、SNSで駆動される資本主義なのだ。そう考えると、われわれの日本でも政治家のネタ化が進行しているのではないかと感じ、薄ら寒い思いにとらわれた。
※本稿は、『ルポ 国威発揚-「再プロパガンダ化」する世界を歩く』(中央公論新社)の一部を再編集したものです。
『ルポ 国威発揚-「再プロパガンダ化」する世界を歩く』(著:辻田真佐憲/中央公論新社)
何がわれわれを煽情するのか?
北海道から沖縄までの日本各地、さらにアメリカ、インド、ドイツ、フィリピンなど各国に足を運び、徹底取材。
歴史や文化が武器となり、記念碑や博物館が戦場となる――SNS時代の「新しい愛国」の正体に気鋭が迫る!