老いた母と娘の葛藤

海原 就職や結婚などで物理的に母親から離れられても、母に介護が必要になったとき、母娘問題が再燃する方もいます。伊藤さんは、介護を通じてお母さんと密なコミュニケーションの時間を持ち、ある種の決着をつけられたそうですね。

伊藤 母とは、一生わかり合えないと思って生きてきました。でも、母が亡くなる2週間くらい前だったかな。「あんたみたいな子どもは本当に大変だったけど、あんたがいて楽しかった。面白かったよ」と言ってくれて。それは、母から赦しをもらったような感覚でした。

海原 伊藤さんをうらやましく思います。どうやってその境地までたどりつけたんでしょう。

伊藤 認知症が始まった頃から、私はアメリカから毎日のように国際電話で話し、できるだけ帰省しました。

その後、母は原因不明の病気で手足が動かなくなり、病院で寝たきりの生活が5年。熊本に見舞いに行けば喜んでくれるし、私が自分の家庭の愚痴をこぼせば一生懸命に聞いてくれる。

たぶん母は、稼ぎの悪い夫とか言うことを聞かない娘とか、ほかにもたくさん《娑婆》の苦しみを抱えていたと思うんです。体が動かなくなり認知症が進んで、その苦しみがだんだん消えて穏やかになった。いい母親は寝たきりの母親だ、って思いましたね。(笑)

海原 いい話。決着がついて本当にうらやましい。うちの場合、父が亡くなったときに、母が遺産を全部持って行ってしまったの。しばらく実家や東京のマンションで一人暮らしをした後、「あんたの世話にはならない」と、自分で施設を探して移っていきました。

伊藤 立派じゃない!