三淵嘉子さんの後輩
田中さんは明治大学法学部出身。NHK連続テレビ小説『虎に翼』のヒロインのモデルで日本初の女性弁護士の一人、三淵嘉子さんの後輩にあたる。
「親は地元の国立大学に進み教員になるよう勧めました。けれど、苦手だった数学が入試で必要となる国立は無理。それに、教員には性格的に向かないと思って、私大の法学部を受けました」
今よりずっと難関だった司法試験。同期の合格者は500人だが、女性はわずか26人だった。「司法修習を終えても女性には就職先がない。研修所に貼られた弁護士事務所の求人も、『男性に限る』と書かれていました。頭にきて女性の修習生仲間と抗議して変更させたけど、実態は変わらない。結局、修習終了の日に大学の先輩だった72歳の弁護士が雇ってくれ、銀座の事務所で〈イソ弁〉(居候弁護士)から始めました」
先輩に同行するとかばん持ちと勘違いされ、裁判所では廷吏に「こっちに入ってはいけない」と言われた。女性が弁護士であるとは誰も思わなかったのだ。
司法試験に同時に合格した明大の先輩と25歳で結婚し、沼津市内で法律事務所を開業した。
30代前半の頃、数名の弁護人とともに東京拘置所へ巖さんの接見に行った時のこと。職員に「女性の方は正面ではなく端に座ってください」と言われ、田中さんだけが移動させらされた。「アクリル板越しなのに……男性死刑囚の心情安定のためだったのでしょうか」。
弁護団で行った、審理の準備のための合宿では、ひで子さんと同じ部屋に泊まった。「ひで子さんが朝早くから元気に体操をするのでびっくりしました」。
再審開始が決定し、巖さんが釈放された2014年3月、弁護士を廃業。「体力の衰えを感じていた頃でした。それに、裁判員裁判など負担の大きい仕事に疲れていたんです」。
それでも巖さんとひで子さんのことがずっと気がかりで、一支援者として活動を続けるうち、再び弁護士に戻ることを決意。昨年3月に再登録した。
「鑑定人尋問などに参加できず、隔靴掻痒の感があったんです」
取材後、駅まで送ってくれた車中で田中さんは「本当は、西嶋先生(弁護団長を長く務めた西嶋勝彦さん)がご病気で少し弱っておられるのを見て、私にもまだできることがあるのではと思い直したんです。あと少し生きていてくだされば」と悔しがった。
西嶋さんは、間質性肺炎のため酸素ボンベと車椅子で裁判所に通い続けていた。しかし、再審の判決を待たずして今年1月、82歳で亡くなっている。