米国の会社に就職
もう1人の弁護士、角替(つのがえ)清美さん(51歳)は、08年の第二次再審請求審申し立ての直後に弁護団に入った。理系出身の弁護士だ。科学に明るいため、DNA鑑定を担当することに。
「前にもやっているから無駄、という声も弁護団から上がりました。でもちょうどその頃、DNAの再鑑定で冤罪がわかった足利事件(90年に栃木県で起きた女児殺害事件)の再審があって」
11年、足利事件の鑑定人である筑波大学の本田克也先生に会いに行くと、「これだけ血がついているなら鑑定できますよ」と言われた。
だが、鑑定請求に検察は激しい抵抗を見せる。「鑑定前の鑑定人尋問では検察の猛反対に遭い、私は頭痛をこらえながら尋問を終えました。本田先生はマスクや保護帽をつけた手術着姿で、資料を切るハサミも持ってきた。対して検察側の鑑定人は歯科医で、手ぶらのスーツ姿。裁判当日は、プロとしての心構えがまったく違ったのが裁判官にも伝わったはずです」。
本田教授の鑑定結果は、巖さんの無実を示すものだった。
印象的だったのは13年12月、第二次再審請求審で最後のひで子さんによる意見陳述時に村山浩昭裁判長がとった訴訟指揮だった。検事が新たに提出しようとした意見書を、「今さら受けられない」と突き返したのだ。「3人の裁判官の、覚悟を決めたというオーラが凄かった」
そして迎えた14年3月の静岡地裁。角替さんは「再審開始決定が出るのでは」と言っていたが、周囲は「棄却されるかもしれない」と疑心暗鬼だった。
角替さんは棄却された時の対応を課されていたため、前日は眠れなかったという。幸い、彼女の出番はなく、再審開始が決定。巖さんが釈放された記念すべき日となった。
角替さんには忘れられない光景がある。18年6月、東京高裁が再審開始を取り消した時のことだ。弁護団も支援者もしょげ返るなか、当時85歳のひで子さんが「何をかいわんや。50年が駄目なら100年でも闘います」と檄を飛ばした。「言葉もなかった。凄い女性です」。
20年12月、角替さんはひで子さんから「最高裁判所から手紙がきた」という電話を受けた。読み上げてもらうと、東京高裁への審理差し戻しとわかった。「ひで子さんは、『クリスマスプレゼントね』と喜んでいました」。
以前から大きな争点であった5点の衣類について、最初の再審決定後にカラー写真が開示されると、1年あまりも味噌に漬かりながら血痕が赤いままであることが判明。弁護団が「発見直前に味噌タンクに放り込んだ警察の捏造」と主張し、最高裁が「色調変化を調べよ」と差し戻したのだ。再審で國井裁判長が、「赤みが残る可能性はない」と断じた。これが決め手となり、晴れて巖さんは無罪を勝ち取ったのである。