病気をしても、何食わぬ顔で戻っていた
彬とは13歳離れていましたし、彼も80代でしたから、この先何十年も一緒にいられると思っていたわけではありません。でも、これほど急なお別れになるとは想像していなくて。いつ亡くなっても相手が困らないように、と準備をしていても、「そのとき」ばかりは読めない。突然味わう喪失感、というのは確かにありました。
ありがたいことに「おしどり夫婦」などと呼ばれていたこともあって、私がダメージを受けていないか気にかけてくださる方は多いようです。だから彬が亡くなったあとに受けた取材やトークショーの場でも、そのときの気持ちを聞かれれば、正直にお話ししてきました。
でも、難しいですね。その場の感情に流されて、あとから考えると正確に本心をお話しできていなかった気もします。
「最初のころは何も食べたくなくて、体重が10キロ以上落ちた」という言葉がひとり歩きして、周囲を心配させてしまったり。「いまはもう戻っていますが」のほうは消えちゃうのよね(笑)。いずれにせよ、気持ちをちゃんと整理してお話しするには、ある程度の時間が必要でした。
彬は役者という仕事に全身全霊をかけた人でしたから、妻から見ても頑張りすぎた人生だったと思います。世代もあるのでしょうが、若いころから働き方も遊び方も豪快で、体のなかはあちこち傷んでいました。
60代半ばで急性肺炎・横紋筋融解症で緊急入院したときは、生存率20%と宣告されましたし、実はここ10年の間に何度かがんも経験しています。よほどの事情でもない限り、病名を公表する必要はないという考えの人でしたから、手術を受けたらリハビリをこなし、何事もなかった顔で仕事に戻っていたので、誰もご存じなかったと思います。
治らなければ黙ってフェードアウトすればいいと、80歳が近くなってからは体にメスを入れるのもやめました。具合が悪いときは症状のケアだけをする。「管だらけになってまで生きるのは嫌だ」と、延命治療はしないこと、入院せず自宅で過ごせるよう、往診してもらうことなどを主治医と相談して決めていました。
もちろんこの考えがいいという話ではなく、これが彬の希望であり、彬らしさだった、ということです。