「私が毎日笑って、元気にごはんを食べているほうが、よほど供養になるんじゃないかと思うようになりました」

私が元気なのが一番の供養

いつも品書きを書いてはコースのように夕食を出していたので、彬は家での食事を「居酒屋しの」なんて呼び、私の料理を喜んで食べてくれる人でした。そうした反応もなくなり、確かにしばらくの間、自分のためだけになにかを作って食べるのを億劫に感じる時間はありました。

でもこの46年を振り返ると、私たちはずっとべったりだったわけではないんですよね。結婚生活をだいたい3分割すると、最初の約15年は、互いに役者の仕事が猛烈に忙しかった。合間を縫って買い物して、下ごしらえをして、一緒にいられるときは精一杯頑張りましたが、舞台で巡業に出れば1、2ヵ月はすれ違いということもざらでした。

私が40代に入ると役者の仕事を制限するようになり、沖縄で過ごす時間が増えました。反対に彬は、ダウンタウンさんの番組をはじめバラエティへの出演が多くなります。アトリエで創作活動に励み、夜の遊びにも精を出していましたね。そのあたりのことは、一切詮索しませんでしたけど。(笑)

ですから皆さんの印象にある、朝から晩まで一緒の「おしどり夫婦」の生活は、せいぜい最後の15年なんですよ。彬も徐々に仕事をセーブして、自宅にいる時間が増えていきました。そしてその15年は確かに濃密な時間だったから、急にそれが途切れたことで、心も体も戸惑いました。

でも時が経つにつれ、そういえば私、ほんの15年前までは何でもひとりでしていたし、一人前の食事を作るのも苦じゃなかったじゃないって思い出したんです。そうしたら、だんだん気力が戻ってきました。

2人で通ったレストランのシェフが、「しょげてる場合じゃないよ!」と食材をどーんと送ってくれたこともありました。「調理したか、証拠写真を送って」と言うので、挑戦を受けて立とう、と腕まくりして料理を作ったら、ますます元気が湧いてきて。

最近は夫婦共通の友人や彬の親類に、料理を振る舞う機会も増えました。一時は、ひとり住まいにこんなに器や調理道具があってもしょうがない、と処分を考えたりしたけれど、危なかったわね。(笑)

彬は外食でも、私の手料理でも、その日に食べたものを毎日記録していました。20年分にもなる食日記をめくっては、「去年はこんなものを一緒に食べたんだな」と、同じようなものを作ることも。その料理を写真の前に並べて、食べさせる真似事をした時期もありました。

でもある日、大阪からきてくれた昔の仕事仲間と、一緒にお墓参りをしたんです。「彬、Aさんがきてくれたよー」なんて言って。それで夕方に家に帰って、「ただいま。遅くなってごめんね」って仏壇に声をかけたとき、あれ、あの人はどっちにいるんだろう? とふと思ってしまった。

そしたら急に、仏壇にもお墓にも、どちらにもいないような気がしてきました。ああ、あの人のことだから、自分の好きなところにふらっと出かけているんだろうって。

そう考えたら、いつまでもめそめそ落ち込んで、仏壇の写真に「あーん」なんてするより、私が毎日笑って、元気にごはんを食べているほうが、よほど供養になるんじゃないかと思うようになりました。

最後はおいしいものも食べられず、大好きな旅にも出られなかった。でもいま、彬は自由です。どこへでも飛んで行けるから、がんがんお肉を食べてお酒も飲んで、それで気が向いたら私のところへ戻ってくるはず。

だから、たぶんいまはこの隣の席に座ってますよ(笑)。それで私の話す内容に、「いやそれは違うんじゃないかな」なんて苦笑いしていると思います。