2021年8月24日号の本誌で対談した際の中尾さん、池波さん

「ごく身内」の葬儀の難しさ

私が『婦人公論』でお話しするのは3年ぶりですよね。どんな終活をしているか、彬と対談したのを覚えています。

先ほどお話しした急性肺炎・横紋筋融解症で彬が入院する前年、私はフィッシャー症候群という病気で倒れてしまいました。50代に入ったころです。長期療養となったうえ、一緒に暮らしていた母をその年に亡くし、また私たちに子どもがいないこともあって、ごく自然に自分たちの死後について考えるようになりました。

だから、最期を見据えた準備が「終活」と呼ばれていることなんて、あとから知ったくらい。『婦人公論』に出たときは終活に関する本を出したあとで、よく夫婦で取材を受けたり、講演会に呼ばれたりしていました。

今回、「終活しておいてよかった」と改めて感じたのは、住まいの整理ですね。私たちは東京の自宅のほかに、セカンドハウスを沖縄に、アトリエを千葉に持っていたのですが、この2つは10年ほど前に手放しました。

もしあのとき売却していなければ、いまごろ相続の手間もかかっていたでしょう。アトリエにあった彬の大量の作品や絵の道具、骨董品、家具調度をいまの私が処分するのは、とても無理だったと思います。

その2年ほど前には、お墓や公正証書遺言も作っていました。ただ不動産や絵画など、財産と呼べるものをたくさん手放したこともあり、ちょうど昨年の秋に遺言を新たに作り直したところだったんです。これも、やっておいてよかったことですね。

自宅は衣類や蔵書、家具の整理を進めていたおかげで、すっきりしていました。それでリビングにベッドを入れることができたので、在宅療養を望まれるなら、片づけは大切かもしれません。

でも想定外のこともたくさんありました。たとえば葬儀。私たちは「葬儀もお別れ会もしない」と決めていて、そのことを互いにわかっていればいい、くらいに考えていたんです。だから30人ほどのごく身内で見送ったあと、彬が好きだった上野精養軒で食事をしました。

……ほら、「葬儀はしない」と言っていても、結局は小規模な葬儀をしてるんですよ。正直、しないわけにいかなかった。そして、どんなに小さくてもかかる手間は一緒なの(笑)。葬儀屋さんを探して、予約して、お寺さんの予定を聞いて、出席してくださる方に連絡して、という段取りは必要ですから。

それに、この「ごく身内」というのも難しかったですね。見送ったあと訃報を出すことにしたのですが、「どうやら亡くなったらしい」という情報は漏れていきました。でもいくら連絡をいただいても、故人の遺志なので身を切る思いで否定したり、お断りしたり。

親しい方のなかには、「私たちは身内に入らないの?」と思われた方もいたでしょう。この仕事特有の悩みかもしれませんが、公式発表までのプレッシャーは想像以上のものでした。

それに彬は現役で働いていましたから、契約中のお仕事もたくさんありました。それを一つ一つ確認してはキャンセルしたり、新たに手続きしたり。そういう作業はやはり大変でしたし、切ないことでしたね。