人生は、自分だけで切り拓けるものではない

〈瞳をクルクルと動かしながらいたずらっぽい笑みを浮かべ、弾力のある声でユーモアたっぷりに話す市原さん。そんな姿を見守っていたマネージャーが、「よかった。やっぱり仕事は最高のリハビリだ」とつぶやいた。聞けば、発病当時は予断を許さない状態だったという。退院後、自宅での療養生活を支えてきた女性スタッフは、今の回復ぶりは「夢かと思うほど」と言う。〉

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病気になったことは、まさに青天の霹靂(へきれき)でした。痛み、かゆみ、痺れ、寒気……、もうどこもかしこも何もかも、救いようがないの。しかも、脳が働かなくなっちゃって、オーバーに言えば錯乱状態かしらねえ。それでみなさんには相当迷惑をおかけしてしまいました。

あ、でも私自身はよくわからないの。なにしろ、ひどかった当時のことは10%くらいしか覚えていない。入院中の頃のことは、エッセイ『白髪(はくはつ)のうた』に書きました。興味がありましたら、読んでみてください。でも、まあ、病気になっちゃったものはしかたがありません。それに、時間はかかっているけれども、少しずつよくなってきているのは確か。だから、そのことを喜ばなくちゃ。

『白髪のうた』市原悦子 ・著/沢部ひとみ(構成)

私はとっても幸せだと思うんです。こうしてみんながそばにいて、笑ってくれる。わざわざうちまで番組の収録にも来てもらえて、声だけですけれど、たくさんの人に届けることができる。『婦人公論』に載せてもらえるのもうれしいわ。ありがとう。

でも、仕事への復帰を焦ってはいません。朗読の次はこれ、次はこれ、その次は……というふうに、うまくはいかないわよ。ゆっくりでいい。

私もね、75歳くらいまでは、まったく問題なかったの。天からもらった丈夫さもあったのでしょうけれど、実際、したいことをしたいように進めてきました。でも、さすがに75を過ぎたあたりから、それまでのように力まかせに突っ走るみたいな生き方は難しくなった。当たり前よね。

それで、ようやくわかってきたのは、人生は自分だけで切り拓けるものではない、ということ。自分がこれから歩もうとする道がある一方、突如現れて抗いようもなく進む道もある。その二つの折り合いをどうつけるかでしょうね。ある程度、気が収まる状態に自分を持っていき、その時を納得して過ごせればそれでいいんじゃないかなあ。