最高のタイミングで聞こえてくる亡き夫の声

〈25歳のとき、俳優座養成所の同期生だった塩見哲(さとし)氏と結婚。稽古場では演出家と役者として、プライベートでは夫と妻として50年以上をともに過ごした。2014年4月、塩見氏は肺炎が悪化し、帰らぬ人になる。〉

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塩見が亡くなったとき、私も終わったと思いました。それから1年ちょっとはふぬけになっていましたね。「私もすぐにそっちの世界へ行くからねー」と、大きな声でお棺に叫びました。

でも、そのうちにね、「朗読ならできるんじゃありませんか」「本なら出せるんじゃないですか」などと言ってくれる人が現れ、40年を超えるつきあいのマネージャーも、少しずつ仕事を持ってくるようになりました。私はそのたびに「おもしろそうね、でもやらない」と断っていたんですけど、仕事の話をすると私の顔つきが変わるみたい。(笑)

そんなとき、ミュージシャンのミッキー吉野さんから、ピアノのリサイタルへのお招きを受け、「舞台で1曲歌ってほしい」と頼まれたの。きっと変なプライドがあったのね。「私の下手な歌で、音楽家の舞台を汚すなんてとんでもない、絶対イヤよ」と即座に断りました。なのに、「ぜひお願いします」と何度も言ってくださって。そうなると気持ちが揺らぐのね。もしかしたら、私に本気で歌ってほしいのかしら? まあ、要は出たいのよ。ミュージシャンと同じステージに立ちたいの。(笑)

そして揺れる心で思い出したのが、生前の塩見の「自分のしたいことをがむしゃらにするばかりでなく、ときには人に望まれたことをやったら?」という言葉でした。自分がイヤになっちゃうわねえ、都合のいいときに、ちょうどよく塩見の言葉を思い出すんだから。

マネージャーも「いつだって市原さんは、ごちゃごちゃ言ったって、結局は歌うんですよ」なんて言い放つの。するとまた、塩見の声が聞こえてきました。「あんたの歌がうまいなんて誰も思ってないよ。ミッキーが望んでいるんだから、精一杯やればいい」。もう私、四面楚歌。それで結局、「悲しくてやりきれない」を歌いました。楽しかったわー。友人も「言葉が聞こえてきた」と言ってくれました。うれしかったわ。歌ってホントによかった。

塩見はね、要所要所でそばにいてくれる感じなの。たとえばお買い物に行って、とってもほしいものが目についちゃった、でも、ものすごく高い! どうしようかしら。そんなとき、天から「買えよ」という声が聞こえてくるのよ。で、「これ、いただくわ」。うふふ、最高でしょ。

取材時に書いてくださった直筆。一字一字たしかめるように筆を走らせていた。「美は乱調にあり」は市原さんの好きな言葉。著書『白髪のうた』には、「破綻を恐れず、日々新たな思いで舞台に出て行く。この勇気と心の自由、それがいのちなんです」とある