「蔦屋重三郎」誕生の背景

実際、重三郎が最初のお店を構えたのは、義理のお兄さんの蔦屋次郎兵衛が経営する茶屋の軒先でした。それが書店耕書堂です。

どういった事情でそうなったのか文献は残っていませんが、重三郎が7歳のときに、お父さんとお母さんは離婚することになりました。これを機に、重三郎は蔦屋という屋号の茶屋を経営している、喜多川さんの家に養子に入ります。

(写真提供:Photo AC)

この喜多川さんの家は、その後重三郎とともに活躍することになる絵師の喜多川歌麿(きたがわうたまろ)と何か関係があったのではと考えられています。

重三郎は、以降、苗字を蔦屋と名乗るようになりました。そうです。蔦屋重三郎という名前は、ここに誕生したのです。