江戸の大衆が好んだ「地本」
ところが、1700年代半ばになると事情が変わってきました。幕府があり、将軍が住んでいる江戸は日本の中心となっていきます。そうなると自然と人が集まってきます。
人がいるところで、ビジネスは発展しますよね。住人や働く人が増えたことで、出版業界も拡大する流れとなって行ったのです。
江戸の大衆が好んだ本は、草双紙、浄瑠璃本、浮世絵などでした。これらは、江戸生まれの出版物で「地本」と呼ばれるようになりました。
そこが産地なものを「地物」と呼ぶことがありますが、それと同じです。江戸でつくられた本は、江戸で売るとき「地本」と呼ばれたのです。
地本を売る本屋は、特別扱いで「地本問屋」と呼ばれていました。地本は上方でつくられるものより、より大衆好みの傾向がありました。
江戸の出版業界が成長し、出版物が増えると、幕府は本が社会に及ぼす影響力を懸念し始めます。ペンは剣よりも強し。情報はどんなものよりも力があります。それこそ人間の思想や言論を変えてしまうことなど容易いのです。