助けてくれた先生の恩情

事態を目撃した私は、まず電話で救急車を呼んだ。と同時に思い出したのは、虎の門病院院長の秋山洋先生である。消化器外科の世界的権威として知られる秋山先生は、私の住んでいた新宿区北新宿の都営アパート「柏木住宅」のかつての隣人であり、このときは高円寺の方に引っ越しておられたが、その後、私自身が何度か虎の門病院で診察を受けていた。また先生の長女は、幼児の頃は私の息子とアパートの庭の砂場で一緒に遊んでいて、つまり家族同様のおつきあいがある関係だった。

私はただちに秋山先生に電話した。ところが先生は、

「これから夫婦でアメリカの学会の催しに出席するため、成田空港に向かうところです」

とのことだった。一瞬、救い主を失ったような絶望感にとらわれた。しかし、先生は、

「成田発は午後4時過ぎですから、私は虎の門病院の玄関で待っています。救急車ですぐ病院の玄関まで来てください」

とおっしゃってくださった。状況は先生の指示のままに進み、ベテランの脳外科医と麻酔医等、万般の準備が整えられ、午後2時過ぎから開頭手術が開始された。

といっても、数時間に及ぶ大手術で、頭蓋骨は上半分が切除され、出血箇所は洗い流され、応急の救命措置がとられた。2週間後には、入れ歯の材料を用いて歯科技工士の技工により人工頭蓋骨が製作された。切除された妻の頭部の上半分は、いまでもその時装着された人工頭蓋骨が形成しているのだ。

私は、病院最寄りのホテル、「ホテルオークラ」に一室をとり、昼間は妻のベッドにつきっきりで、彼女の手を握ったまま。深夜はホテルで休むが、ナースセンターにホテルの部屋番号等を書いた札を貼り、緊急のときは5分以内で駆けつけられるよう待機した。

担当医師によると、人工頭蓋骨は装着されたものの、水頭症等の余病併発の恐れもあり、2ヵ月近く生死の境をさまよった。その間は私にとって、地獄の底にいる思いが続いた。

ただその一方で、私は人間の善意、友情の温かさにふれた。それは、虎の門病院の秋山洋先生のことである。

事故当日数時間にわたる手術が終わって、妻の横たわるICUに呼ばれたとき、何と、アメリカにいるはずの秋山先生が、妻の病床の傍らにおられたのである。私は驚いて、「先生は米国に行かれたのではないのですか?」と聞いた。

「実は成田に向かう自動車の中で妻が私に言うのです。『私たち2人はこのまま米国に行って、学会やパーティに出席していていいの? 渡辺さんの奥さんがいつ死ぬかわからないというのに。それを放っておいて……』」

秋山先生はその令夫人の言葉を聞くや、ただちに自分の出張より私の妻の病状のほうを重視することを決断し、成田行きの高速道路をUターンして虎の門病院に戻って来られたのだ。私の妻の手術に立会うためにである。

実は悲しいことだが、秋山先生は最近、逝去された。その葬儀場で私は、先生が敬虔なカトリック教徒であられたことを知った。その宗教観のせいか、生来の強い友情という愛のなせるわざかはわからないが、先生の恩情は私にとって生涯忘れられない。ついでに書くが、先生の令嬢で私の息子の幼な友達はお2人とも東京大学の脳外科を卒業されている。