「認知症の妻は、元気な頃よりも自分に不可欠な存在となった」と筆者(写真提供◎渡辺さん)

28人目のプロポーズ

それは、私が28歳の頃だったと思う。編集局で仲間と雑談をしていたとき、ひとりの後輩が、新聞の映画広告にのったある外国人女優を指さし、この女優にそっくりな女性を知っている。もし先輩が興味があるなら、いつでも紹介しますといったようなことを言った。

私にとって、その広告写真はきわめて美人に思えたので、即時紹介を頼むと言った。当時、政局もひまだったので、大森方面の居酒屋の2階でその後輩立会いのもとデートした。もとよりその女性は、新聞にのっている洋画の女優とは似ても似つかなかったが、小生には、それまでにつきあった中ではもっとも美人の方ではあった。

1回目に会ったとき、再会を約した以外に何を話したかはおぼえていない。2回目に会ったときのことはおぼえている。

「僕はこれまで、27人の女性にプロポーズした。君は僕にとって28人目にプロポーズした女性になる。ということは、君はこれまでの28人の女性の中で最も美しく素晴らしいということになる」

あとで考えてみると、こんな不合理でいい加減な理屈はないのだが、私のそのときの表情がホンモノに思えたから、彼女は納得し、OKしたのではないか、と思っている。

というわけで結婚に至るわけだが、彼女はそのとき、ほとんど職を失っていたことも、OKの理由だったかもしれない。

彼女は終戦直後、共産党系の新劇として有名だった「新協劇団」に入っていたが、十分な報酬は入らなかったに違いない。そこで、東宝の映画女優のオーディションを受けて大部屋女優になったが、結核を病み吐血し、女優を断念し、治療しながらある著名な写真家の商業写真のモデルをしていた。上の写真は、電気洗濯機か何かの宣伝写真だったと思う。